中の坊と有馬温泉の歴史
御寮人(大女将)の思い出話

中の坊の創業
中の坊の創業は明治元年で、梶木源治郎が始めました。
炭酸泉を発見した人で、地獄谷に碑が建っています。
(現社長は6代目)

あか抜けた ばかになりたし 老いの春
3代目が晩年、「あか抜けた ばかになりたし 老いの春」という句をつくりました。
これを自然石に刻み、句碑として瑞苑の庭に建っています。

鉄道・有馬線開通
大正 4 年に、三田・有馬間に鉄道が開通しました。
国鉄福知山線の支線で、有馬線と言いましたが、汽車は 2 時間に 1 本ぐらいでした。
駅は有馬の中心部から北へ約 700 mのところ、現在の先山クリニックのあるところにありました。

昭和の初め
昭和の初め、お客様は、大阪方面の方が多く、汽車で三田を経由されるか、宝塚からタクシーでお見えでした。
中の坊のお客様は、別荘をお持ちのような上流階級の方がほとんどで、船場の旧家のご家族連れなどが多く来られました。おなじみさんばかりでした。

避暑のお客様
8 月ごろが、避暑のお客様で最も忙しく、 1 ヶ月ご滞在もざら、長い方は 7 月から 9 月の中旬までご滞在でした。
有馬は今よりずっと涼しく、扇風機などまったく不要でした。

三代目時代の中の坊
三代目館主 梶木元次郎の時代の中の坊は、表門のすぐ前に、角の坊さんや大黒屋さんなどの建物がびっしり建ち並び、入口が分かりにくく裏門のほうが表門みたいな具合になっていまいた。
当時の裏門は、瑞苑の本玄関に当たります。

四代目時代の中の坊
戦後、4代目館主 梶木博之が、門前の土地を買収して、ようやく入口が分かりやすくなりました。
猪名野の前の道は初めはなくて、これも土地を買って私どもでつけました。

土産物店で賑わう有馬のメイン道路
瑞苑南駐車場出口前から西田商店さんへと通っている道筋は、昔の有馬のメイン道路で、土産物店も多く賑わっていました 。

しゃれた建物の新温泉
現在の銀水さんの所に新温泉というのがあり、しゃれた建物でしたが、昭和 13 年の阪神大水害で流されてしまいました。川の水が溢れて、周りの旅館さんにも土砂が流れ込み大変でした。
中の坊は高台にありましたので、さいわい被害は免れました。

蒋介石も停泊した有馬ホテル
すぐ近所にあった有馬ホテルに、蒋介石が泊まったことがあり、今でも語り伝えられています。

有馬郵便局に特設電話局開局
電話は古くからあり、何でも、明治 41 年、有馬郵便局に特設電話局が開局したが、今の電話とは違い、局の交換手に申し込んでおきます。
特急なら順調にかかれば 10 分、1 時間たってもかからないことがあり、「忘れとるんと違うか」と 4 代目はよく交換手とけんかをしていたそうです。

おなじみのお客様
お客様からのご予約は、今のように旅行業者などありませんでしたので、皆さん、直接お申し込みでした。
「おなじみさんばかりでしたので、お客様のお顔は全部覚えておりましたよ。」

お客様の送迎
お客様の送迎には、人力車を使っていました。
駅の周りに、各旅館がそれぞれの案内所を設け、人力車と荷車を持ち、車夫を抱えていました。
当時のお部屋
中の坊に温泉が引かれたのは 3代目の時でしたが、昭和に入ってからで、それまでは内湯がありませんでした。お客様にタオルをお貸しして、温泉会館の前身の共同浴場にご案内していました。そのころは、旅館の洗面所は廊下にあり、トイレ付きのお部屋などまだございませんでした。



















